出会いセンター 森みずほプロフィール
A ProfileMizuho Mori

森みずほうんこすわり
BORN IN THE MIYAGI
20世紀後半 5月28日生まれ・宮城県出身・ 双子座・ 血液型O型 ・二人姉妹の末っ子
ペンネームは父の名を事後承諾で借りている。彼は‘瑞穂’という無口な人間である。森は父親似だが、ぜんぜん無口ではない。
誕生したときは今時(?)お産婆さんを呼んでの自宅出産で、仮死状態で産まれた。だから、この世にこんにちわをしてすぐ、他人にひっぱたかれるというほほえましいエピソードを持つ。
なにしろイナカ育ちなもので、子供時代は都会のお子たちの想像もつかないほど、危険な遊びをしていた。あまりに危険なのでここには書けない。よく生きていたなというくらいだ。挙動はランボーだったが、ちょこっと虚弱だったらしく、自家中毒とアトピーで家の者にだいぶ苦労をかけたらしい。当時、アトピーという言葉は一般に知られてなくて原因がわからないから、毎日紫外線治療で何時間も台に括り付けられたり、酢につけられたり、硼酸(ほうさん・ゴキブリを退治するやつ)で身体を洗われたりいろんなことをされた。気分は「やめろぅおぅ!ショッカー!!」であった。20歳を越えたらアトピーのほうはだいぶ良くなったが、食べ物のアレルギーは相変わらずである。特に鯖とカニと生卵がペケである。単に苦手という食物も山のようにあるのさ。(甘いもの全般・酸っぱいもの・生野菜・ナス・ナッツ類・ジャンクフード全般etr…)とにかく若者が好むもの中心にダメみたいだ。好きな食物はうどんと温野菜。…とか……

小学校〜高校
小学3年生のときに姉の影響で合唱(コーラスというとなんか違う…)を始め、ガラスも割れんばかりのソプラノヴォイスをきたえあげる。今も‘山の息吹’とか‘大地賛唱’(字はこれでいいのかな?)を聴くと涙が出てくる、とは大袈裟だがいっしょに歌ってしまう。算数がダイキライ。
5年生のとき、ちょっとした手術をして死にかけるも、しぶとく生き残り現在に至る……じゃちょっと端折りすぎか。初めてコマを割ったマンガを描いたのは、小学三年生のときノートに鉛筆描きをした戦隊もので、タイトルはバトルソルジャー。メンバーをA(アラン)とかJ(ジャック)とかG(グレン)とかアルファベットで呼ぶという、サイ〇ーグ〇〇9そっくりのハナシだ。…実は主題歌も作った。今でも歌える。2番まである
中学生になり吹奏楽部に(ブラスバンドじゃない!)入部、パートはB♭クラリネット。クランポンをその後6年間吹けたのは幸せだった。リードはバンドレンの3herfを使い、木賊で削ってチューンナップ。(んなこと書いてもわかんないよって……)校内暴力のまっただ中で、ひととおりの反抗はしたが、隠れて夢野久作の‘ドグラ・マグラ’を読むというヘンな中学生だ。…そういえば、このときサーファーカットだった……。
高校は共学。ここでも吹奏楽を続ける。母校S校の吹奏楽部は男子が多く、体育会なのだ。なにしろ練習がすさまじい。朝6時には全員第二グラウンドの隅にある専用練習場に集合し、授業が始まるギリギリまで練習するから、朝4時に登校してるのに遅刻したという過去がある。昼休みどころか教科の間の休憩時間にも練習があるので早弁してたら、LHRで男子に「女子の早弁は見たくない」と発言されてしまった。放課後はマラソンから始まる。腹筋を鍛えに鍛えまくり、この頃の肺活量は5000(!)あったが、今はぷよぷよで見る影も無い。東北大会に二回出場した。
…しかし、高3のことはほとんど覚えていない。実は、とても好きだった同じ部の3年の先輩が、私が高2の冬に轢き逃げ事故で亡くなったのだ。告別式には定期演奏会で演奏したボズ・スキャッグスの超有名曲`We are all alone'を吹いたので、それからこの曲を聴くたびにそのことを思い出し、胸が痛む。冷たいみぞれの降る中を、何時間か生きていたその人は、そのちょっと前夕暮れの空を指差して「あれが金星だよ」と教えてくれた。それが最後だった。………まだ17歳。冬になると気が滅入る。
亡くなった先輩の名は、私のマンガの中(ギャグ系。なんだかな…)の主要人物に使わせてもらった。

中学・高校とも部活が忙しくてマンガは読むだけだったが(研究社の新英和中辞典2千ページあまりにパラパラマンガを描くのが精一杯)(をい;←自分)授業中にストーリーだけは作っていた。「雷神」の基礎になる話が出来たのは中学…だったか小学5年あたりだったか……さあ?とにかく大昔だ。

上京〜第一回目デビュー 〜コケる
とにかく私は家を出たかった。「ここではないどこか」に行きたかった。ので、高校を卒業してすぐに就職のため上京し、とっとと会社をやめたのは計画的である。それからバイトをしつつマンガを投稿し、十代の終わりに某少女マンガ誌でデビューするが、3回載っただけ。編集者の注文は「1.かわいい女の子と2.かっこいい男の子が出てきて3.すったもんだあるが4.最後はハッピーエンド」というもの。早いハナシがラブコメである。この頃はまだ青臭くてバカだったので、自分が信じてないものをでっち上げるということはものすごい苦痛だった。毎回ネームを10回以上直させられたし、「原稿にしていいよ」と言われて必死で仕上げ、編集部に持って行ったはいいが部内コンベンションで落とされるということが5回繰りかえされる。真夏、その雑誌の編集長が、目の前で私の原稿をパラパラめくりながら、うちわ代わりにして煽いでいるのを見て(原稿に汗染みがついた)、つくづくここはもうダメだと悟った。またプーに戻る。

再デビュー
それから2年間マンガから遠ざかっていたが、他人から無表情になったと大きなお世話なことを言われ、再び描き始める。投稿作は好きなことを描けるからいいなあ、と思って描いた復活第一作めが、秋田書店の‘ボニータ’に拾われ、その後何本かの作品を経て21歳のとき再デビュー。デビュー作は思い出したくもないが、「私は美人」という32Pのコメディ。編集者がつけた私のキャッチコピーは‘平成ドドンパ娘’である。3作めから連載を持たせてくれたのはラッキーだった。
もうすぐ再デビューから10年経つ。駆け抜けてきた10年だ。でも未だにマンガ家になったという意識は薄い。ときどき夢じゃないかと思う。決して頭にも身体にもいい商売じゃないので、身内にマンガ家志望の子がいたら泣いて止めるが、何か吐き出さないと息が詰まる人種がいるものだ。本人でさえどうすることもできない。本当にやりたいと思うのなら万難を排してでもその人間はやるだろう。ハタから何を言っても空気の無駄使いである。私は吐き出す対象が見つかって、本当に幸運だったと思う。この幸運の中で死ねたらなあと見果てぬ夢を見ている。

こんなものが好きだ! 熱血少女マンガ講座
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